top of page
妙法寺の歴史
ご本尊さまに託された記録と地域の歴史
昭和30年代の本堂改築の際にご本尊の胎内から見つかった文書によりますと、当寺院の歴史は延宝2年(1674)のこと、当地の村役人を務めていた信心深い森四朗左衛門が、当地を治めていた佐橋家と自身のご先祖様の追善と子孫末代までの繁栄を祈って村はずれの山際に龍藏寺という寺院を建立し、ご本尊として釋迦牟尼佛を納め、珍祐法師という僧侶にお寺をお守りいただくようお願いしたことに始まります。
その後5代住職の珍鏡法印が寺院の再興に努めて、宝永4年(1707)12月に現在の地にお堂を移し、同時に名前も祇王山龍頭院妙法寺と改めて、深大寺の末寺となったとされています。
残念ながら宝永年間建立の本堂は傷みが激しく取り壊さざるを得なかったのですが、その際には当時の宮大工が富士山噴火の様子を堂内の梁に書き残したものが見つかっています。
周辺は縄文時代以降の多くの史跡が残っている地域となっており、妙法寺にも鎌倉時代の板碑(川崎市指定文化財)が横浜市都筑区東山田町にあった寺院から移され所蔵されています。
また、昭和58年には元禄時代(1695年頃)の当地の歴史を伝える久末義民地蔵尊が境内に移設され、以来毎年7月24日に追善法要が営まれています。
妙法寺の歴史
bottom of page